デッドロック心理学。

心理学、臨床心理学についてのモゾモゾした雰囲気。

パニック発作と荒療治。

夢なら覚めるな!薔薇を手に入れるまで!

 

ということで、こんにちは、トランシルバニアン・ローズです。

 

今日は一日、刑法をやっていたので、心理学には触れておりません。

今からちょろっとやってみます。

でも食事が先です。

夕飯を食べます。

焼きそばです。

楽しみです。

 

 

前回の続き。

 

かくして自由を失い、限界ギリギリまでの不自由環境に置かれたオイラは、パニック発作を経験することが無くなりました。

 

オイラの場合、パニック発作は吐き気という形で現れます。

オイラは嘔吐恐怖でもあるので、吐き気というのが一番恐ろしい発作の出現の仕方なのです。

その不自由な場所では、嫌だろうが何だろうがやるべきことをやらされるので、「あ、俺、今日やすむ」みたいなことは許されないのです。

 

最初はパニック発作の恐怖で身がすくんでいたのですが、もうどうにもならないという、突きつけられた現実に日々晒されることによって、ええ意味での「諦め」が発生しました。

 

そうなったら不思議なもんで、パニック発作が出なくなったんですよ。

 

オイラは広場恐怖も相当酷くて、ある時期なんかは、自宅の玄関を出た瞬間に倒れてしまう、みたいな状態だったのです。

 

しかしその「諦め」が功を奏して、広場恐怖もなくなったのです。

 

「諦め」恐るべし・・・。

 

 

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玄関から出ただけで吐き気で身がすくんでいた時代に、さすがに「こら何とかせなあかん!」ということで「無理矢理にでも外に出る機会を作らないとあかん!」と思い、一念発起して、大学院に通うことにしたのですよ。

 

で、大学院生になった訳ですが、やはりパニック発作の吐き気がすごいのは治らなくて、最終的には図書館に入ることもできなくなって(入ったら逆に出ることができなくなって)、研究が中断する羽目になったんですね。

 

結局、もっともっとキツイ拘束、不自由が、オイラには必要だったんだと思うんです。

 

逃げ場がある世界だと、本当に「火事場の馬鹿力」は出ないもんで、パニック発作が酷ければ酷いほど、強烈な拘束状態・強制力が行使されるような状況が必要な気がするんです。

 

荒療治だし、倫理的にも問題がありそうなんだけど、キツイ発作に対抗するには、これぐらいの方法が必要なんだろうなぁ、と思うわけです。

 

「自由」は時として、人を殺します。

「不自由」は時として、人を救います。

 

近代に入って、西欧の個人主義思想が日本に入ってきたときに、夏目漱石が、個人主義が広がると神経症の人が増えるだろう、なんて言ったのは、実に故あることなんだと思います。

 

「自由」の恐怖。

「選択の自由」の恐怖

 

それから逃れられない状況というのは、実は相当のストレスになるんだと思います。

 

精神病を治す手段としては、一見、禁忌にも思えるような方法が、実はその人を救える可能性もある・・・という感じでしょうか。

 

また考察してみますね。

 

とにかく、しんどい人は、今までの「常識」から外れたことをやってみたら、何か新しい状況が開けてくるかもしれないですよ。

 

 

 

チャレンジ!!!

 

 

 

 

 

では!