デッドロック心理学。

心理学、臨床心理学についてのモゾモゾした雰囲気。

「新しいことをやる」ことと「目的」と「手段」

新しいことをやることには意義がある、と思う。
ただ、「新しいことをやる」ということだけが「目的」になってしまった場合、ことにより最悪なことになることもあり得る、と思う。
少なくとも「自由」ではなくなる、と思う。

僕は今ベースを弾いているのだけど、意識としては今のところ「新しいことをやろう」とは思っておらず、古典的な、「ルートを8分でゴリゴリ弾く」ということをやっています。
これは僕がやりたいことです。
この演奏法がどんなに古かろうが、どんなに手垢に塗れていようが、僕はそれが好きなので、それをやっています。

「新しいことをやる」ことだけを「目的」にしている人は、なんだか不自由に思えてしまいます。
どんなことでも好きなことをやればいいのに、と思います。

例の「自殺抑止アート団体」の人のページには、「活動内容の詳細はDMで」と書いているのですが、それと同時に「活動内容の詳細はお教えできません」とも書いています。
ダイナミックに矛盾しているのだけど、まあそんな感じです。

で、何故「活動の詳細はお教えできない」のかと言えば、本人曰く「全く新しいことをやるから」とのことです。

この「団体」は、「自殺抑止」がメインではなく、どうも「新しいことをやること」がメインみたいなのです。
その証拠に、そのメンバーがツイッターで「新しいことをやろうとすると足を引っ張る奴らがいる」「日本にはフロンティア精神がない」などと書いています。

この「団体」は、結構な批判をDMで受けているようなのですが、それは「足を引っ張っている」訳でもなく、「日本にはフロンティア精神がない」からでもなく、単純に、彼女らの「活動」が、余りにも「酷い」ものだからだと思われます。

その批判の中には、「自分の自己主張がしたいだけで、本当の意味で『自殺志願者』のことなど考えていないんじゃないか」というものがありました。
これには僕もそう思いました。

とにかくその人は、何度も書きましたが、承認欲求のどす黒い塊みたいな人なので、どこからどう見ても、「『自殺志願者』を『ツール』にした承認欲求の充足行動」にしか見えないのです。

本当の意味で「自殺志願者」を思い留まらせようと思うのなら、他にもっと効果的な方法もあるだろうに、彼女らにとっては、それは「古い」ものであり、「手垢に塗れた」ものらしいのです。
とにかく、どうしても、自分たちの「アート」を見せて、その「ショック」で「自殺志願者」を思い留まらせなければならないようなのです。
その為には心理学や精神医学の最低限の知識も不要らしいのです。

僕は古典的なベース奏法である「ルートを8分でゴリゴリ弾く」ことがとても楽しいので、それをやります。
それをやっている内に、「結果的に」新しいことができたら、それも楽しいのかもしれませんし、価値のあることなのだろうと思いますが、とにかく僕はほんまに僕がやりたいことをやりたいです。

 

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本文とは何の関係もない僕の愛器の図。
大好きだから何度でも載せちゃう。



おわり。